新沼謙治さんの奥様が亡くなられてから12 年が経ちました。その間再婚お相手として名前が上がっていましたが果たしてどうなるのか、情報を集めてみました。
ーーーー目 次ーーーー
- 新沼謙治・松居直美結婚するのかしないのか
- 新沼謙治の奥様と子供さん
- 新沼謙治の生い立ち
- 新沼謙治の活動
- まとめ
1 新沼謙治、松居直美 結婚するのかしないのか?
結論から言うと「ありません」、それは何故か。年齢のこともありますが、それよりも、奥様が無くなられる前に再婚を勧められたそうですが「何をばかなこといってるんだ」とかたくなに拒否をされたとか、観音様を建立するくらいですから、奥様に対する愛情はすごいものがあります。
では、何故松居直美さんの名前が挙がったか?それは新沼謙治さんと松居直美さんは、同バトミントンクラブに所属していて、松居直美さんは新沼謙治さんの愛弟子なんです。それに二人は立場が違います。新沼謙治さんは死別、松居さんは離婚経験者での子供、どう見てもかみあわないですね。
世間は面白おかしく騒ぎ立てるのが好きですから、こんな話が出てきても不思議ではありませんが、新沼謙治さんのあの誠実と真面目さ、奥さんに対する純愛。これを考えたらありえない話です。
2 新沼謙治の奥さんと子供
- 奥様 :湯木博恵 1948年11月15日
- 死亡日:2011年9月7日(病死)
- 結婚:1986年3月3日
新沼謙治さんの趣味はバトミントン、その趣味を通じて知り合った湯木博恵さんと結婚。奥様になられた湯木博恵さんは、バトミントン全英オープンで世界一4連覇をなしとげたすごい人です。その時新沼謙治さんは29歳、湯木博恵さんは37歳。8歳年上の姉さん女房で話題になりました。
お互いを「ユキさん」「ケンさん」と呼び合っていました。なんといい感じですよね。新沼謙治さんは真面目、実直な方だと聞いています。金銭的には恵まれた環境だったと思いますが質素なんですね。結婚式も東京で派手にかと思いましたが、なんと大船渡市内のホテルですから。
もう一つの理由としては、オバアチャン子だった新沼謙治さんは、具合の悪かったおばあちゃんに結婚式を見せたいという思いがあり、東京ではなく地元を選択したそうです。いい話ですよね。ここにも新沼謙治さんの人柄がよく表れていますね。
その後、新沼謙治さんと妻博恵さんの間には1男1女の子供が生まれましたがまさかの奥様の他界、残念としか言いようがありません。そして、新沼謙治さんは奥様を悼み、故郷である大船渡市に「南無博江観音」を建立したのです。奥様をすごく愛していたことがよくわかりますね。
お子様は翔太さん文那さんというらしいですが、お子さんたちのことはほとんど公表していないようです。どちらかわかりませんがお孫さんができたようです。お爺ちゃんになられました。
3 新沼謙治の生い立ち
- 本名 新沼謙治 (芸名同じ)
- 誕生日 1956年2月27日
- 出身地 岩手県大船渡市
- 職業 演歌歌手、シンガーソングライター
俳優、タレント
- 活動期間 1976年〜 日本コロムビア
中学卒業後、集団就職で栃木県宇都宮市で左官業の会社で働く。
左官業(さかんぎょう)
今では工場で予め作られた装飾パネルやクロス貼り、壁紙なとが多くみられますが、趣のある建築物にはこの工法が使われます。土塀や床、壁 などを、金属や木製のコテと呼ばれるもので塗り上げていく仕事で、熟練が必要で高い技術、いわゆる匠の技ですね。
なぜ歌手の道を歩むことになったのか
19歳の時左官業をやっていた時に親方に勧められ町内ののど自慢大会に出場し優勝してしまったわけです。(親方に乗せられてしまったわけですね)それで「スター誕生」にチャレンジしたわけです。しかし、世の中それほど甘くないことを思い知ることに。
ついに努力が報われるときが
4回チャレンジしたが失敗。700名のうち、20名には選ばれたが、最終選考には届かなかった。普通なら、もうあきらめるところ、無謀?にも5度目のチャレンジ・五木ひろしの「愛連記」で見事合格、本選出場となりました。そしてこれまた合格。
その後がまたすごい。その後レコード会社からのオファーが何と17社。すごいですよねー
- 1976年2月 日本コロムビアから「おもいで岬」でレコードデビュー
- 2枚目のシングル「嫁にこないか」で大18回日本レコード大賞新人賞受賞
- NHK紅白出場
4 新沼謙治の活動
新沼謙治さんのメインは歌手であり、数多くの曲を歌っています。しかし、なんと言っても代表曲はこの3曲でしょうう。
- おもいで岬
- ヘッドライト
- 嫁に来ないか
改めて新沼謙治さんの歌を聴いてみると、味のあるとても良い曲ですね。ヘッドライトなんかは、夜中すぎに聴くと、真夜中の周りの情景が浮かんでくる様な旋律とうたいかたです。
デビュー曲の「おもいで岬」と「嫁に来ないか」は曲調が明るくサラリとした感じの歌で嫌味のないとても良い曲だと思います。
そして、忘れてはいけないもう1曲
- ふるさとは今もかわらず
この曲は、東北大震災からの復興を願って新沼謙治さん作詞作曲の歌で、この曲が大きな反響を呼んで、今年7月に合唱で歌いたいと言う要望に応え、合唱バージョンを収録したシングルが発売された。
また、千昌夫さんと一緒に岩手県と石垣島との架け橋、親善大使に任命されたのです。
その経緯というと、岩手県は平成5年の大冷害により、翌年の種籾の確保が困難となりました。そのとき石垣島で「種籾緊急増殖事業」を実施して窮地を救ってくれたのが沖縄県や石垣島の皆様でした。
その後、この事がきっかけとなり農業だけでなく,スポーツなどでも交流がの和が広がったというわけです。
5 まとめ
左官業から一躍スターの座に,考えてみればすごいことです.左官の仕事は経験と勘ですかね。この広さならこれくらいの土を練った量、均一の厚みに塗るための量、温度や湿度によって状況は変わる。
一人前になるには何十年とかかる厳しい修行があります。親方から怒られながら、一つづつ覚えて行くーかなりの忍耐と勉強がある。その精神があったからもしれません。
スター誕生に4回もチャレンジして失敗。普通ならこの辺であきらめるところ、5回目の挑戦でやっと栄冠をとった。
本当に凄いこと。もしこの親方にめぐりあわなかったら、歌手としての新沼謙治の誕生はなかったででしょう。人との出会い、触れ合いは大切にしなければならないと思います。
勿論いいことばかりではありませんが、「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」どう言うことかと言うと、馬の良し悪しは実際に乗ってみないとわからない、人とは付き合ってみないとどんな人かわからない。
新沼謙治さんはきっとこの親方に何かを感じたのでしょうね。大変な仕事なのに飛び出すこともしないでやってきたことが、報われたのだと思います。
粘りと頑張りは 何んといっても大切ですね。
コメント